無(なにもない)も大切

精神科医として長年、患者さんと接してきた経験をミックスして、老子の言葉をわかりやすく解説してくれる野村総一郎さん。
著書「人生に上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える老子の言葉(文響社)」の中で、無(なにもない)ことも大切であることが書かれています。
有用で、利益が出るようなものは、役に立たないところがあってこそ成り立つ。
茶碗は中になにもないから、お茶やごはんを入れることが出来るんだよー!というニュアンスの記述があります。

それを読んで、ふと私の友人の言葉が思い浮かびました。
その友人は、人の話をしっかりと聴くことが出来る人気者です。
私なんて口を挟みたくて仕方がなくなるのに、何故そんなに人の話が聴けるのか、尋ねてみたことがあります。
その友人は少し考えてから、
「子供の頃、他の人は私の話にそんなに興味がないんじゃないかな?と思ったことがあった。
その頃から、自分の話はあまりせずに、相手の話したいことを流れのままに聴くことに集中する癖がついた。」
と教えてくれました。

自分の話したいことや疑問を、自分の中や共有している時間から一旦追い出し、隙間(無、空、茶碗の中の空間)を作り、その隙間に相手の話(お茶やごはん)を入れている。
私の中で、老子と友人が繋がった気がしました。

良く”話し上手より、聴き上手の方が人気者になれる”という話を聞きますが、これも聴き上手な人になるためのひとつの考え方なのかもしれないな、と感じました(M)。

【ご案内】
ブログ”すいか・あんぐる”に新たなカテゴリー「水花の種」が増えました。
スタッフが様々な学びの中で出会った心身の”未病”に繋がるヒントをコラムにしてお届けします。

”水”は硬い氷にも、蒸気にもなる変幻自在の最強アイテム。
”東洋医学でも”気”、”血”と並んで、身体を構成する大切な要素のひとつとされています。
老子は、柔弱の象徴として尊重し続けた”水”を以て、”上善は水の如し”という言葉も残しています。
最も善い在り方は水のように、万物に恵みを与え、争うことなく、誰もが嫌がる低いところに落ち着く。だから道に近い。

屋号の”すいか”の花言葉は、なんと「どっしりしたもの」。
尊く、美しく、凛々しい”水の如き花”が、どっしりと安定した実を結ぶ。
そんなすいかの種になるようなコラムにしたいな、と思って「水花の種」と名付けました。
ちょっと心身が弱くなってしまった時に、訪れて頂けたら幸いです。